Kitchen Science's Memorandum

YouTubeチャンネル”Kitchen Science”の動画で伝えきれなかったことをつらつらと書いてまいります。

「浸透圧でもっと美味しく」の補足その1 ~"料理のコツ”に潜む嘘と誤り~

こんにちは、ほりけんです。
この記事は「3種の野菜の常備菜~浸透圧でもっと美味しく~」の動画の内容を補足するものとなっています。
動画をご覧になってない方は、先にこちらをご覧ください。


【料理 × 科学】3種の野菜の常備菜~浸透圧でもっと美味しく~【かぶ/ほうれん草/しいたけ】

さて、今回は強気なタイトルを付けてみました。

延々と続いている料理の歴史、その中で生まれた”料理のコツ”と呼ばれるものには、科学的根拠を伴わずに昔から伝えられてきたものが多々あり、それらは正しかったり正しくなかったりします。

近代になって科学が発展すると、調理科学や栄養学といった料理を対象とする学問も生まれ、料理のコツの科学的妥当性が検証されるようになりました。
その結果は論文や本といった形でまとめられ、それらにはある程度の信用性があるでしょう。
ただし科学の世界では、以前まで正しいと思われていたことが、後の検証によって間違いであったとわかることもよくある話です。

また現代では、ネットによってさまざまな情報を気軽に手にいられるようになりました。
しかしネットで手に入る情報が玉石混交であるということは、わざわざここで詳しく述べる必要はないでしょう。

一つ申し添えておくならば、ネットにはプロのシェフによる記事もたくさんあり、彼らの確かな経験によって書かれたそれらは、美味しい料理を作る技術としてはある程度妥当性があると思われます。ただそこに付記されたエビデンスの中には、科学的には正しいと言えないものも見受けられてしまうのです。

そういった間違いを正しいと信じられるのは望ましいことではありません。
この記事では、それらの中でも特に動画で扱った野菜や浸透圧に関するものについて、できる限り正確な情報を伝えていきたいと思います。

なお、記事のタイトルに「嘘と誤り」と付けたのは、これらの間に明確な差はないと考えているからです。
間違った情報の発信が善意によるものか悪意あるものかは判断がつきませんので。
記事のスタンスとしてもあくまで間違った情報を正すことが目的であり、「このサイトは悪質だ!」と指摘したいわけではありません。
そのため以下で紹介する情報の出典については、この記事では明らかにしません。
ただ、それらは重箱の隅をつついて出てきたものではないことは言い添えておきます。
どれも検索エンジンで関連するワードを入れたら上位にヒットするサイトや、調理学の入門書として有名な本から見つけたものであるため、多くの人が目にしたことがある内容なのではないかと思います。

前置きが長くなってしまいました。それでは本文です。

 

しいたけを戻す際に砂糖を入れる理由

動画内では、「砂糖をぬるま湯に入れることで浸透圧を小さくし、しいたけの戻りすぎを防ぐため」と説明しました。

これ以外によく聞かれる理由は、「砂糖をぬるま湯に入れることで浸透圧を小さくし、しいたけのうまみ成分(アミノ酸)の溶け出しすぎを防ぐため」というものです。

ここで浸透圧の定義を一度思い出してみましょう。

浸透圧とは簡単に言えば、「濃度の低い溶液から高い溶液へ、半透膜を介して溶媒が移動する圧力」のことでしたね。
溶質であるアミノ酸の移動について浸透圧で説明するのは、定義の点で間違いと言えます。
しいたけの例以外にも、溶質の移動に関する話であるのに浸透圧の一言で説明を終えているものは度々見かけられます。

ただこれだけでは言葉の使い方の間違いを指摘しているに過ぎません。気になるのは砂糖の有無によってアミノ酸の移動がどうなるかでしょう。
砂糖によってアミノ酸の溶出が抑えられるかについては、峰岡ら(2007)の研究に詳しくあります。
これによると、真水と1%砂糖水とでは、溶出したアミノ酸に有意な差は見られなかったようです。
つまり砂糖の有無はアミノ酸の溶解の程度と無関係であるということですね。
とはいえ同研究においても、しいたけの食味や噛み応えに対し、砂糖を入れた水で戻した方が良好であったと結論付けています。

ところで、しいたけを砂糖水で戻すこと、及び浸透圧という言葉の意味について触れたので、ここで動画内の解説の補足を。
動画内では干ししいたけを砂糖水に浸すと「しいたけから砂糖水の方向に浸透圧が働く」と説明しましたが、厳密に言えばこれは正確ではありません。
浸透圧とは二溶液間に働く力の差と定義されることが多く、さすればすなわち浸透圧は濃度の高い溶液から低い溶液という方向にのみ働く力だと言えるからです。
動画内の解説ではわかりやすさを重視してこのような説明を行いましたが、混乱してしまった方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。

青菜を茹でる際に塩を入れる理由

ほうれん草などの青菜を茹でる際に、お湯に塩を入れる方は多いと思います。(動画でも入れていましたね)
ではこの塩には、どのような役割があるのでしょうか?

良く見られるのは、「沸点上昇により高い温度で茹でるため」というものです。
なぜ高い温度で茹でると良いのかは置いておくとして、野菜を茹でるときにいれる塩でどれだけ温度が上がるかを、高校化学で習う知識を使って考えてみましょう。

簡単のために1%の食塩が入ったお湯1kgを例にとります。以下で用いる定数も計算を簡単にするためにかなりざっくり見積もっています。

沸点上昇度⊿Tbは溶媒に固有のモル沸点上昇度Kbと溶質の質量モル濃度mを掛け合わせたものになります。(モルとは簡単に言えば分子の数の単位、質量モル濃度は溶媒1kgあたりどれだけの数の分子が溶けているかで考えた濃度です。)
水の沸点上昇度をKb=0.5[K・kg/mol]としましょう。(Kは絶対温度の単位で、温度が1K上がることと1℃上がることは同じ意味です。)
食塩のモル質量はおよそ60[g/mol]ですから、1%の食塩水のモル濃度は
m=(10/60)×2≒0.33[mol/kg]です。(2をかけているのは水に溶けると塩化ナトリウムが電離しモル濃度が二倍になるため)
よって1%の食塩で上昇する沸点は⊿Tb=Kb×m=0.5×0.33=0.17[K]となり、ほとんど変わらないことがわかります。

逆に沸点を1℃上げるためには約6%の食塩が必要ということです。ちなみに6%の食塩水は相当しょっぱいです。
ここまでしてようやく1℃上がるだけなわけですから、青菜を茹でる際に加える食塩による沸点上昇の効果はほとんど無視できると考えられます。
塩による沸点上昇よりも、野菜を入れたときに下がる温度の方が大きいでしょうから。

ちなみに、「沸点上昇を起こすために食塩はお湯が沸いてから入れましょう」と書かれた記事もありました。
前述の通り、沸点上昇度は溶媒の種類と溶質のモル濃度にのみ依存するので、食塩をいつ入れても沸点上昇度は変わりません。
(先に食塩を入れると溶け残って濃度が低くなるというのはあるかもしれませんが…)

それでは、なぜ食塩を入れるのかという話になります。
他にもいくつか説がありますが、「野菜の色を保つため」という理由は定量的な計測を伴う研究がなされており、説得力があるのではないかと感じました。ただしこれも部分的な効果ではあります。
以下の記述は主に山崎(1954)によります。

植物の緑色は、クロロフィルという色素に由来します。
野菜を長時間加熱すると、このクロロフィル内のマグネシウムが外れ褐色のフェオフィチンという物質に変化します。
このときナトリウムイオンが存在すると、これがマグネシウムと置換され安定した形になるため、変色を抑えられると考えられています。ただしこの作用は限定的であるともされています。
またクロロフィルがフェオフィチンに変化する反応は酵素によるものであるため、高温下ではこの反応は抑制されます。
ぐつぐつ沸騰したお湯で葉物を茹でるのはこのためです。

実際にどれくらい色が変わるのかという点を、この研究では定量的に調べています。
この実験で使用されたのは小松菜ですが、99℃±1℃で加熱した際の緑色度の変化について、水と1%食塩水では差は見られない一方で、2%食塩水では3分以上加熱した際の脱色の程度に顕著な差が見られるという結果が出ています。

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各溶液中にて加熟した場合の緑色度の変化(生葉の緑色度を100とする)(山崎(1954)より引用、一部表記改変)

この結果によれば、1%程度の食塩で茹でるならば、また短時間の加熱ならば、ほとんど茹でた後の色に違いがないことがわかります。
実験に用いられた小松菜であればまだしも、ほうれん草は1分も茹でれば十分なので、塩による色を保つ効果はほとんど期待できないと考えられます。
また、動画内で作った黒ごま和えなどの料理では、野菜の色の変化がほとんど気にならないため、塩を入れる意味はより薄くなると言えるでしょう。

…僕は次からほうれん草を茹でる際に塩を入れないようになると思います…

肉を焼く際に塩を振るタイミング

塩を用いて浸透圧を生じさせる技法は、野菜料理だけでなく肉や魚を調理する際にも使われます。
特にステーキのような調理行程がシンプルな料理では、いつ塩を振るかというタイミング一つで最終的な味が大きく変わることもあります。

このステーキにおいて肉に塩を振るタイミングが、焼く直前が良いのか、それとも塩を振ってしばらく置いてから焼くのがいいのか、これはかなり意見が分かれるところです。
僕なりに総括すると、どちらにもメリット・デメリットがあり、使う素材や、あるいは焼き方によって適した方を選ぶのがよいのではないかと思います。

直前に塩を振るメリット
・・・肉から水分が出ないため、肉に負担をかけず、素材の味を楽しめる。

塩を振ってから時間を置くメリット
・・・肉に塩が浸透し、しっかり味が付く。

また、それぞれのメリットは互いのデメリットの裏返しでもあります。

ここまでは良いです。僕が気になったのは、焼く直前に塩を振るデメリットとして挙げられていた「塩はすぐ焦げるから」という記述です。

結論から言えば塩は焦げません
焦げとは食品に含まれる有機物が炭化したものです。
塩は塩化ナトリウムから構成される無機物ですから、どれだけ加熱しても焦げることはないのです。
もし焦げるとしたら、塩と一緒に振ったコショウか、あるいは使っている塩に含まれる(塩化ナトリウム以外のという意味での)不純物だと考えられます。
(塩に有機物の不純物が焦げるほど含まれるのかは何とも言えませんが…)

最後に大事なことを

ここまで偉そうに間違いを指摘してきましたが、実は僕は調理科学や栄養学を体系的に学んだわけではありません。
この記事の内容が間違っている可能性も十分にあると思います。
(もし間違いを見つけられた方は、遠慮なく指摘していただけると大変ありがたいです)

この記事を通して伝えたいのは、上記の情報は間違いだ!ということではありません。簡単にたくさんの情報が手に入ってしまう今だからこそ、それらをすぐに真に受けることのないようにしてほしい、ということです。

何かに対して「なぜだろう?」と感じたとき、その疑問を放置せず、ネットでも何でも調べるのは素晴らしいことだと思います。
ただそこで手に入れた情報をそのまま受け入れるのではなく、「なぜ?」をもっと追求してほしいのです。
そうすれば、そこに潜む嘘や誤りにもきっと気が付きやすくなります。

また、「なぜ?」を追求するということは、原理を理解するということです。
原理を理解すれば、実践に応用ができるようになります。
例えば今回、青菜を茹でる際に塩を入れるのはきれいな色を保つためだと僕は理解しました。
そうすれば、次にほうれん草の黒ごま和えを作るときはゆで汁に塩を入れる必要はないか、という判断ができるようになるのです。
また、こんなこと意味あるのかなと感じられた学校で習った知識も、例えば沸点上昇度の計算は料理に活用できるという実例を紹介できたかと思います。

科学を知れば、いつもの料理がもっと美味しくなる。
料理をすれば、科学の勉強が身近に楽しく感じられる。
料理と科学にお互いの魅力を引き立てあってほしい。

これからも、Kitchen Scienceは皆さんの暮らしと学びをより充実したものにするべく、動画や記事での発信を続けてまいります。
それでは、また次回。

参考文献

杉田浩一『新装版 コツの科学 調理の疑問に答える』(柴田書店)2006

峰岡 恭子, 海老塚 広子, 有田 政信, 長尾 慶子「干し椎茸の戻し条件と調理性の比較」(一般社団法人日本家政学会研究発表)2007
山崎 清子「緑色野莱の調理による色の変化 (第1報) 主としてクロロフイールについて」(家政学雑誌)1954