「魚の塩焼を砂糖で作ると美味しい」は本当か?
こんにちは。ほりけんです。
以前Twitterで、「魚の塩焼を砂糖で作ると美味しい」とういう呟きが話題になっていました。
魚の塩焼を砂糖で作る話。塩焼って、薄塩を振って臭みを抜く→酒で洗う→本塩を振って焼くと思うんですが、薄塩の変わりにグラニュー糖を振ったらどうなるのか。砂糖は分子量が大きく身に浸透しないので味への影響を気にせずたっぷり振れて、浸透圧差で魚の水分を強力に抜くことができるという理屈。 pic.twitter.com/B6NJJwH07t
— Kentaro Hara (@xharaken) 2021年3月29日
これは面白い!と思い、スーパーで鰤の切り身を買い、砂糖を使った塩焼きを実際に作ってみました。
いつもより臭みが抜けており、ぎゅっと身が締まっている…ような気がしました。
折角なので便乗ツイートをしようと、スマホを手にしたところでふと思いました。
「砂糖の方が浸透圧が強力に働く。」これ、本当か?
論点の整理
というわけで、今回の記事では「砂糖を使って塩焼きを作ると何が変わるのか」を検証していきます。
まずは元ツイートで述べられている内容を整理しましょう。
1.砂糖(グラニュー糖)は塩より分子量が大きい
2.分子量が大きいため砂糖は身に浸透しない
3.味を気にしないでたっぷり振れる
4.浸透圧差により魚の水分を強力に抜くことができる
ツイートの要点はこの4つに整理できます。この中で僕が違和感を覚えたのは4に対してです。
浸透圧の大きさ
浸透圧の大きさπは、希薄溶液では溶質の種類を問わず以下の式で表されることが知られています。(ファントホッフの式)
π=CRT
ここでCは溶質のモル濃度、Rは気体定数、Tは絶対温度です。
このことから、浸透圧の大きさを比較するならばモル濃度を比べれば良い、ということがわかります。
では、同じ質量濃度の食塩水と砂糖水では、どちらのほうがモル濃度が高くなるでしょうか。
1Lの水に1gの食塩(塩化ナトリウム:NaCl、式量58.5)と砂糖(ショ糖:C12H22O11、分子量342)を溶かした場合のモル濃度(mol/L)を計算してみましょう。大小を比較すればよいのでアボガドロ定数はNAで表します。
食塩水:1÷58.5×NA×2≒3.4×10^-2×NA[mol/L]
砂糖水:1÷342×NA≒2.9×10^-3×NA[mol/L]
※塩化ナトリウムは水中で電離するので計算式の中で2をかけています。
この計算結果から、同じ質量濃度での溶液のモル濃度は、食塩水のほうが砂糖水より10倍ほど高いことがわかります。
よってファントホッフの式から、ある濃度の食塩水と同じ大きさの浸透圧を生じさせるためには、その約10倍の質量濃度の砂糖水を用意する必要があることがわかります。
塩以上に浸透圧を働かせるならばそれくらいの砂糖が必要というわけです。
そもそも同じ質量濃度であれば砂糖水よりも食塩水のほうが浸透圧が大きくなるのは、分子量(式量)の違いから直感的に分かります。
便乗ツイートをしようとした手が止まったのもこのためです。
しかしながら、元ツイートのリプライ欄などを見てみると、どうやら青魚などの食材から水を出すのに砂糖を使うのは広く使われる技法の様子。
ということは、砂糖を使う化学的なメリットはやはりあるのでしょうか。
もう少し考えてみましょう。
少し細かい話
ここまで読んで、今回の議論の対象である事象はファントホッフの式が成り立つ希薄溶液ではないのでは?と疑問に思われた方もいらっしゃるかもしれません。おっしゃる通りです。
ただ、ファントホッフの式は単に線形に比例するというだけの話で、原則浸透圧はモル濃度が高ければ高いほど大きくなると考えてよいでしょう。
濃度が高くなると浸透圧の上昇幅が逓減する可能性はありますが、同じ濃度の食塩水と砂糖水で逆転するということは、ちょっと考えにくいです。
また、砂糖のほうが塩よりも水に対する溶解度が高いから、実際には砂糖水のほうが質量モル濃度が高くなるのでは?という声も聞こえてきそうです。
詳しい計算は省略しますが、20℃での飽和水溶液のモル濃度を比較すると、砂糖水が約5.8mol/kgであるのに対し、食塩水は約6.1mol/kgと、やはり食塩水のほうが大きいことが分かります。
先ほどの計算結果と比べると、かなり差は小さくなりました。
しかしながらこれは、どれだけ濃い砂糖水でも、飽和食塩水の浸透圧を超えることはできない、ということでもあります。
こうなると、砂糖が塩焼きを美味しくする効果を浸透圧以外で探る必要があるのでは?となります。
ブライン液に学ぶ
皆さんはブライン液というものをご存知でしょうか。
もともとは食塩を溶かした水のことで、調理前に肉や魚を漬けておくことで、身を柔らかくする効果が得られるものです。
現在では、ブライン液には塩だけでなく砂糖も入れたものの方が主流のようです。「塩焼きに砂糖」という組み合わせは、ブライン液に通ずるものがあるように思います。ブライン液が肉や魚にどういう効果を与えるか、見ていくこととしましょう。
肉や魚は加熱するとどうしても水分が失われ、ともすればパサパサとした食感になってしまいます。
ブライン液に漬け込んでおくことで、水分を予め身に含ませ、しっとりとした食感を保つことができるのです。
また塩は一部のタンパク質(塩溶性タンパク質)の構造を変化させ、組織をほぐされたような状態にします。漬け込む液に塩を加えることで、身を柔らかくさせる効果が見込めるのです。
では砂糖は何をするかといえば、保湿効果が主な役割であると考えられます。
せっかく漬け込んで身に取り入れた水分も、加熱されるとやはり外に出てしまいます。
身により水分を保つためにどうするか。
こちらの記事でお話しした自由水・結合水の観点からみると、結合水は運動しにくいので、身に留まりやすいと考えられます。単に水分を含ませるだけでなく、その中の結合水の量を増やせば、より効果が得られそうです。
もちろん塩(塩化物イオン・ナトリウムイオン)とも結合水になりますが、砂糖(ショ糖)は一分子内に親水性のヒドロキシ基を8つも持つので、より多くの結合水を得られると考えられます。ブライン液に砂糖を加える理由は主にここにあるようです。
(上述の記事でも書いた通り自由水・結合水というのは二元論で区別できるものではなく、程度の問題がある概念です。)
と、ここまで書いて思いましたが、今回の元のツイートのツリーを見ると、砂糖の方が魚の身からたっぷり水分を抜いているようです。となると、砂糖の保水性により美味しく感じるというのは考えにくですね…
結局
遠回りしましたが、結論としては「味に影響しない範囲では塩よりも砂糖のほうが浸透圧が強い」ということなのでしょう。
粒子の大きさの差による浸透の早さも影響を与えますが、それ以上に塩はとてもしょっぱいのです。
このブログでは何度か書いていますが、塩水は低い濃度のものでもほんとにしょっぱい。あの海水で約3%ほどです。一方で、例えば果物で糖度20度が謳われるように、砂糖はある程度の濃度でも美味しく食べられます。
青魚に砂糖という一見相性の悪そうな組み合わせが実は美味しいというのも、砂糖が味に与える影響が小さい故と言えるでしょう。
というわけで
長々と語った挙句元のツイートの論旨が正しいという結論になりました。尤もその過程で学べたことも多かったので、全く無価値な議論というわけでもないと思うことにします。
またこの結論を他の料理に応用することも大切な学びですね。塩は少量でも味への影響が大きいということなので、味を整えるときは少しずつ加えるようにしたほうが良い、と考えられます。
普段の料理でなんとなくしていることも改めて考えてみると、新たな知見に出会い、次の料理の美味しさに繋がることもあるのだな、と思っていただければ幸いです。